ばななごはんがたべたい

バナナごはんを追い求めて日々断捨離するブログ

札幌へ

あけましておめでとうございます

今年の目標を立てようとしたとき

なぜまだ北海道札幌市にいるんだろう

と思いました。

昨日の紅白で、自分が行くはずだったけど、自分で行くのをやめてしまった、大阪が、天童よしみと映っていました。

大阪にいたら「アレ」のアレをひたすら喜んでいたのかなぁ。

別の場所に住んで、日本ハムとは別の野球チームで盛り上がるって、経験したことないなぁ。

別に札幌でも日ハム以外を応援すればいいけど、住んでからこそ応援するっていうのもあるよなぁ。

これから先もそんな体験できるのかなあ。

日本でも、海外でも違う土地で違う文化に触れたいなぁ。

切にそう思いました。

 

高3で後期試験が終わった3月、ある道内公立大に合格していたが、市外に出るのを諦めました。

受験生だった自分に教えてやりたい。

「あんた25歳になっても札幌にいるよ」

「札幌出るなら誰もが知ってる学校に入れるように勉強頑張りなよ。数学はがんばってもできないから英語と国語と日本史極めて早稲田か慶応目指したほうがいいよ!死ぬ気でやりな!」

あのとき、めちゃくちゃ数学頑張ってセンターで7割取って国公立に入ることが全てだったからなぁ。

早く視野を転換して、自分を貫けばよかった。

まわりの先生がいくらセンター重視と言ってきても。

さすがに現役で早慶は無理でも、、、

○前乳歯の死

実は道外に出たい、せめて札幌から出たい、って幼稚園の時から思っている。

転勤族が多い地域で育った。

周りが東京大阪…いろいろな場所へ引っ越していく。小6のときはロンドンに引っ越していった人もいた。

 

幼稚園の時、女の子につかみかかられ、押し倒されて、玄関の縁側に前歯を強打。

わたしは押し倒される前、その子の名前を呼んだだけ。なにかした覚えはない。

前歯の乳歯が黄色くなった。歯医者さんには「この歯は死にました」と言われた。乳歯だから抜けるのは良かったけど。何年かは歯が黄色い理由を説明した。

その女の子は、1ヶ月もしないうちに、大阪に親の転勤で引っ越していった。

その子から押し倒されて、大泣きしているときに(わたしの泣き方もウザかったかもしれないけど)、全く悪いと思ってなさそうな態度で謝罪を受けた。

幼稚園の先生がむりやり謝らせていた。

わたしは初めて人を嫌いになる感情を知った。

 

心のこもった謝罪もないまま、その子が大阪に引っ越すという噂が流れ、みんなその子との別れを惜しむ方向にシフトしていった。

わたしは4歳にもならない子供ながらに

「逃げた」と思った。「ずるい」と思った。

親同士は仲悪い様子はなくて、謝罪もあったのかもしれない。その後も年賀状が来たりして、特に何もなかったみたいになっていた。

わたしは全く納得できなかった。

 

親の転勤という外からの力は、都合の悪いことをなかったことにする力がある、ことを学んだ。あの子が、人の歯を殺してしまうような子っていうことも引っ越してしまえば誰にもわからない。

ここではじめてわたしは「転勤」は良いことなのかもしれない、と意識した。

 

○マウントまみれの幼少期

東京ディズニーランドを特集した番組が毎週木曜日、朝七時半から入っていた。

東京ピューロランドの公演から録画した番組も毎週火曜日朝七時半から入っていた。

これだけでも東京に憧れてしまう要素十分だと思うんです。

まわりに、やれホントは北海道民じゃないだの、東京出身だの、ディズニーランドとディズニー"シー"は違うだの(大人になったら割とどうでもいいことだった)、あんまりメジャーでなかったUSJに行っただの言ってくる他の園児がまあまあいました。SMAPとかモー娘。のコンサート行った、こんなおもちゃを買ったとかもよく言われていました。(いい人もいましたよ)

北海道から一度も出たこと無い子供はそんな周りの状態だと「東京行きたい」って言いますよねえ。

なんでうちは東京行けないのー、うちも引っ越そうよ、いつ引っ越すの?ってめっちゃ親に聞いていました。

その頃からですかね、東京とか、北海道外に出ればなにかが変わる!と思っているのは。

 

マウントだけで言えば、お金持ちと転勤族を集める地域に住んでいたので(うちは貧乏)、小学生になると、以前住んでたところとか行った場所についての話だけではなく、着ている服のブランド紹介(自慢?)も始まるわけです。

当時はナルミヤ・インターナショナル全盛期でした。必死にねだって買ってもらいました。

ごめんね、ママ。

北海道生まれ育ちもなんとなく恥ずかしくて。

 

振り返ってみると楽しい思い出もあるけど、、、ギスギスしてたなぁ。

マウントの極みでした。

○中学生のとき

でも、なんとなく中学生くらいまで「ここはお金持ちと転勤族ばかりだから仕方ないや」と思いながらマウントに聞こえなくもない「うち北海道の人じゃないから」という言葉を聞き流して、ブランド服も「ユニクロで揃えるほうがオシャレ」と思い込んで暮らしていました。

 

「北海道の人じゃない」って、「親の転勤でたまたま、北海道に住んでしまって何もない土地だと思っているけど別に俺か望んだわけじゃね〜し、そもそも道民じゃないし、おまえとはちげーんだよ」 って言う意味が込められているように思っていて、今考えるとちょっとダサい気もするんですけど、そのときは「道民じゃないの羨ましいな」って思っていました。

 

北海道札幌が、思ったより何にもないっていうのは、札幌にずっと住んでいるわたしのような人が一番わかってるからわざわざ東京みたいなところから来た人が言うなよ」、と思ってました。耳が痛かった。

↑ちなみに、今(2024)は、住んでいる場所に謙遜ではなく本気で「何も無い」って言ってしまう人のほうがちょっと…と思っています。

 

○真逆の環境 地元志向

高校生になってからですね

そういう「道民を下に見る、今北海道に住んでいる道民」について考えなくなったのは

札幌中から学生が集まってくるわけですよ

高校には。

札幌は転勤族が多い地域ばっかりだと思っていたけど、それは私の生まれ育った地域の特殊性だったことに気がつく。

ほかの区、地域の子たちは私が感じてきたようなことはあんまり感じていないようで、

多くの子は、同じ小中のメンバーで、下の名前呼びで育ってきたみたいでした。

めっちゃのびのびしているように見えました。

周りが「札幌にずっといること」にこだわる子が多くなりました。

ちょっと安心しました、北海道を下に見ている人が少ないって。

でも、私がずっと北海道を出たいっていう気持ちに共感してくれる人もあまりいませんでした。

 

中学の時、札幌を下に見ている人たちの言葉を聞いて、「ああ、やっぱり札幌ってなにもないんだ、私が小さいときから出ていきたいって思っていることって間違ってないんだ」とちょっと安心する部分もあったわけです。

 

北大、樽商大、教育大、と地元国立大学至上主義の高校でした。

道外私大志望はちょっと変わり者扱いで、「いいねそんなお金があるんだね」と言われる感じがありました。

それでも、自分を貫こうと、志望校に「明治大学文学部史学科」と書いたことがあります。

当時興味のあった史学をめっちゃ頑張ってるいる大学、と思って、調べて、学校が提唱する王道を外れている感じは感じたけど勇気と自信を持って書きました。

そしたら、高校2年生のとき、北大以下の大学を目指すクラス「標準クラス」に入ることになりました。

「標準」という名前がいやで、志望校を目指してもいない「北大」と書いて提出し、北大以上の大学進学をめざすクラス「難関」に進んでいく子がとっても多い中で。

標準も難関も悪いわけじゃないけど、自分の意志を貫くって、こんなに大変なのか?って思いました。

あと、自分が夢見ている東京の大学行きも、そんなに、間違った道?北大以下の道?って思いました。

「難関」と「標準」を成績順で決めてくれたほうがどんなに自分の夢を否定しないで済んだのか。

まあ結果、最後には明大に入れるだけの学力もなかったので地元私立大に進むんですけど。

 

大学に入ってからも、周りの子は地元志向でした。

札幌が好きとか、素直に言えるのびのびとした子たちでした。

わたしはもう、そんな素直さがありません。

成長の過程で、札幌が好き と素直に言える心を置いてきてしまったようです。

4年間ずっと道外に出る、と決めていましたが、まわりの就職情報はほぼ、道内向けのものでした。 

ついに大学4年、コロナ禍です。

移動や外出が制限される中、やっぱり札幌じゃないところに行きたい と思い、大阪に移ろうと就活を頑張り、内定を得ました。

でも、自分は本当は、、、場所なんてどこでもいいから障害者福祉をしたかった。

場所なんてどうでもいいから、生まれ育った札幌でも良かった。札幌でも、大阪で向いていないとなんとなく悟ってしまった仕事をするよりは良かった。

わたしは大阪に移ることだけを考えて就活をしていました。

大阪の内定を蹴る勇気が出ない、ずっと内定辞退の電話がかけられない。

それで、心を病みました。

最後には心を病んだことを理由に、札幌に残る、と言って内定を辞退しました。2020年12月のことでした。 

そのときあんなにも出たかった札幌が、わたしをずーっと優しく包んでくれていた、ということにようやく気が付きました。

今じゃなかったんだ。と思いました。

そして、札幌の会社にギリギリで拾ってもらって、色々あってやめて、札幌で今もなんとか働いて食べています。

2024年になったわけです。 

こうして振り返ってみると、札幌のこと、

本当は、なにもないなんて思っていません。

本当に魅力あふれるいい街です。

寒いけど、意外となにもないけど、食べ物が美味しくて、程よく都会で、程よく田舎で自然豊かです。

あと、振り返るとほんとに自分の意志のない、子供だった。

やっぱり今も、札幌じゃない街には住んでみたいですよ。これは本心。

でも、中学生の時の、札幌を見下すまでの過程が。 

周りに流されすぎ。周りで、俺道民じゃない〜って自慢?してくる人たちは、ただ、わかってないだけだよ。わたしより住んでないから、なにもないとか言えるんだよ。ってことには中学生時点でも気がつけそうです。

 

そこに気がついたうえで、今、別の文化を感じるために札幌じゃないところに住んでみたいです。

だから、札幌で結婚できません。

恋人も作れません。

札幌にいる札幌に実家のあるひとは、札幌から出ようなんて思わないです。 

転勤族と付き合えるかどうかもわからないです。

どっか別の場所に行きたい人が、いまいる地に大切なものを作ってはいけません。 

今の仕事は大好きです。

でも、いつかは別の世界を見ようと、旅に出ます。その日まで全力で仕事に向き合い精進していこうと思います。

2024年も、よろしくお願いします。